旭鮨の歴史

創業 昭和2年

昭和2年2月1日、京王線下高井戸駅際に蕎麦屋「旭家」が開店しました。これが旭鮨総本店の創業です。
屋号の「旭」は、元々足袋職人だった創業者の高野勘次郎が独立し、大正5年に足袋屋「旭屋」の看板を掲げたのが始まりです。朝日の如く勢いよく昇り、山川草木を初めあまねく照らす原点という意味がある「あさひ」、しかし「朝日」ではなく「旭」としたのには理由があります。「旭」は分解すると九日になり、十日を満願とすればその一歩手前になります。何事も完成成就すれば心も緩みますが、常に「まだまだ」と自分を戒め、励まし続けいくという創業者の心意気が込められているのです。その心意気が飲食店の起業へと繋がっていったのです。

基礎

基礎

昭和16年に始まった太平洋戦争は、昭和19年には敗色も濃厚になり「旭家」も廃業に追い込まれました。戦後の混乱期を経て、料飲店再開法により鮨委託加工の「旭鮨」の看板を新たに掲げたのは昭和24年のことでした。
鮨の委託加工とはまだ物資が統制品の多い世の中、一合の米を預かり、それを鮨に加工して賃金をいただくものでした。当時は60円也、また米のない方にも特別に一人前100円也で応じていたそうです。委託加工は店内での食事は禁じられていましたので、「5合お願いします」といった注文を受け、出前下げの時に米を一緒にもらうといった商いでした。
昭和25年になるとタバコの配給制廃止、生鮮食料品の統制撤廃など様々な統制がなくなり、旭鮨も世の中の好景気の波に乗りました。そうして昭和27年3月13日、有限会社旭鮨が設立されました。

発展

発展

昭和39年4月に新宿の京王百貨店地階の食品売り場に売店を、同年11月の全館完成と共に8階のお好み食堂に出店を果たしました。これを期に経営の拡大を図った旭鮨は、昭和43年株式会社に組織変更し、社名を「旭鮨総本店株式会社」に改めました。現在は都内近郊にすし店のみならず天ぷら専門店、居酒屋など20店舗余りを営んでおります。これらの店舗に共通していることは、旭鮨の経営理念でもある「お客様に喜びを」です。その為に今も昔も、より良い食材を探し、味わい深さを追求し、最高のおもてなしを心がけているのです。
令和9年、旭鮨総本店は100周年を迎えます。
しかし創業者の心意気のとおり、まだまだ100年です。
さらにその先へ向かって、驕ることなく前進してまいります。